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◆能代市◆ 

 能代市は、秋田県の北西部に位置し、東は北秋田市・上小阿仁村、西は日本海、南は三種町、北は八峰町・藤里町に接しています。奥羽山脈の源流から日本海へと注ぐ一級河川「米代川」が市の中央を東西に流れ、西側の広大な台地の大部分が、農地として活用されています。

 

◆バスケの街◆

 能代市には、昭和42年度の埼玉国体で全国初制覇を成し遂げて以来、これまで全国最多、58回の全国制覇を誇る能代工業高校バスケットボール部があります。市ではこの能代工業高校バスケットボール部の強さに由来する「バスケの街能代」を全国に向けて発信しています。

◆白神山地◆

 秋田県と青森県にまたがる約13万ヘクタールに及ぶ広大な山岳地帯の総称です。人為的な影響をほとんど受けていない原生的なブナ林が世界最大級の規模で分布し、その自然と生態系が世界的にも貴重であると認められ、屋久島とならんで1993年、日本で最初のユネスコ世界自然遺産として登録されました。

◆風の松原◆

 能代市の海岸沿いに連なる砂防林です。
 その規模は日本最大級を誇り、東西幅1km、南北総延長14km、面積760ヘクタールの広大な土地に、約700万本の松が植えられています。これらの松は江戸時代から植樹されたもので、今も能代の街を守り続けています。
 ウッドチップを敷き詰めた「健康づくりのみち」や、サイクリングコース、憩いの広場などがあり、身も心もリフレッシュ出来る優しい空間が広がっています。

◆能代の祭◆

 伝統的な夏の七夕行事では、城郭型の灯籠を引き回して、まち中を練り歩きます。文献によれば、江戸時代後期から明治にかけては、高さ五丈八尺(17.6m)幅三間四方(5.4m)もある灯籠を夜明けまで引廻したとあり、平成25年に、この大型灯籠「天空の不夜城」を復活させようという機運が高まり、一世紀の時を超えて能代のまちに、高さ17.6mの「嘉六(かろく)」が、また、翌年には城郭型灯籠では日本一の高さを誇る24.1mの「愛季(ちかすえ)」が製作され、能代の街にそびえ立ちました。平成28年1月には、ふるさと祭り東京2016(東京ドーム)に天空の不夜城「愛季」が出演し、多くの観客を魅了しました。

 また、秋田県内で開催される花火大会の中で先陣を切って開催される「港まつり能代の花火」、東北や全国の有名な祭りが一堂に集まり、パレードを行う「おなごりフェスティバル」など、様々な見どころがあります。

◆木都能代◆

 能代は中世から木材、特に秋田杉を中心とした交易が盛んな地でした。1600 年代中頃から秋田杉や米、阿仁の金銀銅が日本海西廻りの木造船「北前船」により能代港から上方へ送られるようになりました。
 江戸時代には、秋田藩の木材行政の中心地として栄え、近代に入ると1897 年には、井坂直幹によって、英国製の機械による製材が導入されるなど、木材加工や取引方法が近代化されました。同時期に日露戦争が勃発したことも追風となり、能代の木材産業は大正時代から昭和初期にかけて隆盛を極め、「東洋一の木都」とまで称されました。現在でも、住宅用建材や木工芸品など様々な木製品が製造されており、能代の代表的な産業となっています。  

 木都能代を象徴する建築物である旧料亭「金勇」は、1937年に建築され、旧二ツ井仁鮒から伐採された天然秋田杉をふんだんに使用した木都能代を象徴する建物です。近代能代の文化と木材加工技術の繁栄を伝える歴史的建造物として評価され、1998年に国登録有形文化財となりました。

◆きみまち阪県立自然公園◆ 

 明治14 年、東北巡幸の途中、この地で皇后の便りを受けた明治天皇は一帯の風景の美しさと合わせて感動され、後に名称が定まっていなかったこの地に「徯后阪( きみまちざか)」という名称をつけられました。
 その際に届けられた便りには “大宮のうちにありてもあつき日をいかなる山か君はこゆらむ”という和歌がしたためられており、まさに長旅を気遣う皇后から天皇への恋文でした。
 巨大岩が連なる「屏風岩」や男女の願いをかける夫婦岩を桜や紅葉の木々が四季折々に彩ります。

秋田県能代市

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